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東京チェンソーズ × 森林

業界のウイークポイントを伸びしろと捉え、
常識にとらわれないチャレンジを続ける。

要約すると…

  1. 林業を仕事にしたが、家族を持つと続けることが難しい雇用条件だった。一方、1950年代の大規模な植林のおかげで、有史以来最大の資源量といわれるほど森の資源は豊かだった。
  2. 2006年に起業。当初の下請け100%から脱却するため2014年に山を購入し、独自のアイデアで木の販売を始めた。その際、適正な金額をもらえる仕組みも考え、国の補助金だけに頼らない自立した林業にも挑戦し始める。
  3. ビジネスが軌道に乗り始めた後、次世代が林業に目を向けてもらうようなプロジェクトを、総面積の約9割が森林である檜原村と一体となって取り組んでいる。

日給制。家族を持つと厳しい給与システム。

東京チェンソーズの創業メンバーである青木亮輔さんと木田正人さんが出会ったのは、檜原村。それは、同じ森林組合に在籍していたことがきっかけでした。当時青木さんは20代、木田さんは30代。その上は若くて50代でした。というのも、当時の給料は日給制。1日1万ほどで、雨が降ると仕事は休み。梅雨時や年末年始は、月の半分くらいしか出社できず月給が15万円くらいでした。

独身だと何とか生活していけるものの、結婚すると続けていくのが難しい。さらに、保険が整っておらず(当時)、安心して働ける環境とは言いがたいものでした。また、過酷な労働というイメージを持つ人もいるかもしれませんが、コツを掴めば年齢にかかわらず続けていけることも実感としてわかったといいます。

※ 東京都西多摩郡檜原村。島しょ部を除く東京都で唯一の村。全国の地方と同じく過疎化が進み、2021年4月現在の人口は2000人弱。

山の作業風景。

1950年の苗木が、豊かな森に変わっていた。

林業は衰退している。そう、悲観的に思う人がいるかもしれませんが、実は1950年頃に国が伐採跡地・裸地などに苗木の植栽(民苗養成事業)を積極的に行っていて、1960年には苗畑面積が約7,200ha、山行苗木の生産量は13億本を超えていました※※

また、1964年の木材輸入の全面自由化で、5年後に安価な外国産が国産の供給量を上回ったというネガティブに感じる歴史もありますが、これは価格競争に勝てなかったというよりは植林から50-60年経たないと細くて木材として出荷できなかったことが大きく影響していたといいます。

※※:林野庁「林業統計要覧」より

 

 

「植えた木が育つのを待っている間に木材自給率は下がったけれど、僕たちが林業を始めた2000年代は樹齢50年の木が日本中に植わっていました。これから活躍してくれる木が僕たちを待っているような、明るい未来しか想像できませんでしたね」

起業。そして、山を買う。

林業の明るい未来を着実に切り開いていけるように、青木さんと木田さんたちは2006年東京チェンソーズを創業します。まず、日給制を月給制にし、社会保険をつけるところに着手。当時は、東京都森林組合の下請け100%という状況で、檜原村にある私有地のお手入れを目的とした伐採(木々に太陽光が当たるように間引く。木の搬出は無し)を続けていました。地道にお金を貯めながら「林業はなぜ儲からないのか?」という根本的な問題を徹底的に考え、アイデアを練っていきました。

創業時の東京チェンソーズメンバー。左から木田正人さん、井上大輔さん、青木亮輔さん、水出健二さん。

問題として浮かんできたのは、このようなことがあったといいます。

  • 木を植えて50-60年は売り上げにならないが、世話はずっと必要。
  • 適正価格で販売されていない(木材として販売できるのは一部だけ。単価が低い)。
  • だれが関わったのか分かりづらい工業製品のような商品。
  • 森林所有者と木材生産者が別々になっている。       など

なかでも着目したのは、林業界では森林所有者と木材生産者(木の伐採・搬出を行う)が異なることが一般的で、自由に木を使ったり計画的に植栽したりできなかったこと。みずから森を育て、持続可能でクリエイティブな林業を目指すために、2014年秋10ヘクタールの山を購入しました。

東京チェンソーズの社有林。広さは、東京ドーム2個以上。

みんなで、未来の森を育てられる仕組みを販売する。

山を購入したのと同じ頃、「一般社団法人TOKYO WOOD普及協会」に声をかけてもらい、構造材(柱や床)のすべてに東京の木を使った“MADE IN TOKYOの家づくり”に参画します。いってみれば、住宅の地産地消。メンバーは、木を切り出すところから完成に至るまでに関わったプロフェッショナルたち(林業家・製材業・プレスカット工場・工務店・建築士)で、つくった人の顔がすべて分かる画期的なプロジェクトです。

また、木の家だからといって、ログハウスのようなものでなく、外観からはわからない一軒家。天然のフローリングは暖かく柔らかで、住宅展示場では「ずっとここにいたい」というお客さんが出てくるほど好評を博しています。

翌年は、購入した山を使って「東京美林倶楽部(とうきょうびりんくらぶ)」を始動させます。これは、木を植える会員を募り、入会すると30年間ずっと森林体験ができるもの。木を育てるのは東京チェンソーズですが、夏に下草刈りのイベント、冬に感謝祭があり、会員も山での体験が楽しめます。お客さんに3本の杉を植える権利を購入してもらい、1本だけは30年後も檜原村に残し、参加した人全員が未来の森を育てる仕組みです。販売前は「トータルで8万円もかかるサービスに、人が集まるのだろうか?」という不安もあったといいますが、始めてみると第6期となる2020年でトータル280組の方が会員に。

東京チェンソーズのみなさんは、毎年会員の方と会えることを心待ちにして会社の活気にもつながっているそう。年齢も職業も住んでるエリアも異なる人たちが年に数回森で会い、30年の付き合いができることもこのサービスの魅力のひとつなのかもしれません。

東京美林倶楽部、イベントの様子。東京美林倶楽部のキャッチコピーは「わたしの木が森になる」。

木材の単価を上げる商品を、続々と。

さらに、流通には乗らない端材を生かした出張ワークショップ「森デリバリー」を始め、木の魅力を伝えつつ商品マーケティングや企業PRの場をつくります。

ここで反応が良かった“バードコール”や“ぶんぶんごま”は、自社オリジナル商品として販売し、本来なら捨てていた木に価値を与えることに成功しています。

ワークショップの開催場所は、新宿御苑やアークヒルズなど。参加者に1,000円ほど払ってもらう、もしくは主催者側に出店料をもらう形で採算が取れるような仕組みに。

 

業界の慣例を見直していくうちに「1本まるごと販売」というサービスに辿り着きます。これまでの木材販売では1本の木から25%ほどしか流通していないという現状がありました。というのは、野菜の規格外のようにまっすぐ伸びていない木は、木材になれない。さらに、根っこや枝を売ることも皆無に等しく、四角い木材になるまでに切り落とされる部分も多いといいます。

つまり、本来なら捨てられていた木を見直す取り組み。ひとつとして同じものがない自然そのものの木をお客さんそれぞれが見立て、枝をおもちゃにしたり、木の先端をクリスマスツリーにしたり、根をテーブルの脚にしたりと、唯一無二の木工製品が生まれています。購入者にもアイデアが必要なので、毎日たくさんの注文が入るというわけではないのですが、通常の10倍以上で木材を販売することが可能に。また、東京チェンソーズのすべての商品でお客さんが安心して購入できるように社有林は国際的な森林認証制度「FSC® 認証」を取得しています。これらの取り組みは、多様性やSDGsなどの風潮が追い風になっているといいます。

「1950年代を中心に先人たちが苦労して植えた木が、いま私たちに差し出されているような状態。やっぱり使う責任は重くて、丁寧に使っていきたいですね。安売りせずにやっていくために、業界の常識にとらわれず挑戦し続けることを大切にしています。それから、林業の作業経費の約7割が補助金というほど補助金は切り離せないような業界ではあるですが、もらってしまうとどうしても使い方に制限が出てくるんですよね。そういう意味でも、自分たちでしっかり儲かる仕組みを考えることが大切です。アイデアとデザインで、必ず付加価値は付けられるはずですから」

自然あふれる檜原村の風景。

子供たちが憧れる職業を、目指して。

2021年秋には「檜原 森のおもちゃ美術館」の開館が待っています。これは、村の総面積の93%を占める森林資源を生かした体験型の木育施設です。

発端は2013年。代表の青木さんが、木製玩具の国産自給率は5%という事実も盛り込みながら、村長に「トイビレッジ構想」の原案となるようなアイデアを提案。村長も、地域資源を生かしながら地域に産業が生まれることを面白がり、様々な視察や協力を得てオープン目前までこぎつけました。

館内でMADE IN檜原村のおもちゃで遊べるのははもちろん、“そとあそび学芸員”が見守るなか裏山でも遊べます。アスレチックなどがあるわけではなく、頂上まで20分ほどかかる山道があり、木の実を拾ったり、虫を見たり。ただただ自然と戯れることができる贅沢な空間を準備しています。

「檜原 森のおもちゃ美術館」 完成イメージ。

「木製の家具や家はなかなか手が出しづらいものですが、子供の時からおもちゃを通じて気軽に木に触れられれば、その魅力を肌で感じられるようになると思うんですよね。東京都の森も、2050年で100年を迎えます。そういった森を舞台に、木を植え、育て、切ることができるのは僕たちではないんですよね。もし、そこに誰もいなかったら、とても寂しいことです。70年前に植えた苗木をしっかりバトンタッチするためにも、林業が子供たちの憧れる職業になれれば。だからやっぱり、木の良さ、楽しさを体験してもらえるような環境を用意することが必要だと思ったんです」

地元では、新しい産業ができることを喜んだり、おもちゃの村として世界に知られているドイツ・ザクセン州ザイフェンのようになれるかもしれないと盛り上がりをみせています。

自然あふれる檜原村の風景。

独自プロジェクトは、社員の個性が混ざり合って生まれる。

東京チェンソーズがこれまで生み出してきたプロジェクトは、青木さんが骨子を考えているものが多いのですが、肉付けは異業種から転職してきた人も含めたユニークな社員が行ってきたそう。この裏には「日々向き合う木の収穫が50-60年先ということや、仕事場が山ということもあり、細かいことを気にしていてもしょうがない。最終的な目的がズレていなければ挑戦してみよう」という林業家らしい大らかな方針があるといいます。

また、東京チェンソーズでは社員一人ひとりの個性が発揮できることを大切にしていて、それはホームページのこれまでの歩みに、独立した社員の企業名まで紹介し退職後も個人を応援し続けるほど。様々な人が臆せず意見を言えること、さらにいうと自分らしく生きることができる自由で風通しのいい企業だからこそ、慣例に縛られることなく次々と新しい挑戦をしていけるのかもしれません。

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