地域のコネタ
1903年の今日は、川上音二郎と川上貞奴が日本で初めてシェークスピアの「オセロー」を上演した日です。
江戸末期に福岡で生まれた川上音二郎は、多くの成功をおさめた人でもありながら、どん底の時期を何度も経験している波乱の人生を送った人。川上音二郎が最初に名をあげたのは、オッペケペー節です。これは、明治新政府でもっと自由な暮らしができると考えていたのだけれど、西南戦争によって物価が上がり暮らし向きが豊かにならないために自由民権運動が起き、それが演説が集会条例や保安条例によって弾圧され、自由民権運動の精神を歌詞にして歌い込んだものです。
その後、川上音二郎と川上貞奴は、書生演劇から新派の原型をこしらえたり、ヨーロッパ公演で日本の魅力を伝えたり、シェークスピアの演劇を日本にもってきたり、日本で初めて洋風の劇場を建てたりとあらゆる意味で、演劇の先駆者であり続けました。
川上貞奴はもとも女優になるつもりはなかったのですが、サンフランシスコ公演で急遽出演しないといけなったことから女優人生が始まりました。ヨーロッパでは、音楽家ドビュッシーや画家ピカソ、彫刻家ロダンなど著名な芸術家を虜にし、ロダンにいたっては「あなたの彫刻をつくらせてください」といわれたほど。また、貞奴の着る衣装はヤッコドレスと呼ばれ社交界でも人気を博したともいわれています。