地域のコネタ
本日11月17日は、将棋の日です。
藤井四段の活躍で、人気が集まる将棋。もともとは、古代インドの「チャントランガ」という盤上遊戯が世界各地に伝わり、ヨーロッパではチェス、中国では象棋(シャンチー)、日本では将棋になったといわれています。かつては貴族や武士が自ら駒をつくり将棋をさしていたのですが、安土桃山時代には本格的な駒づくりが始まり、江戸時代からは庶民にも広がっていきました。
その要となる木製将棋駒は、山形県天童市が日本のシェア約9割を占めています。そのきっかけは江戸後期、天童織田藩が財政難に陥り、藩士たちの内職に奨励したことにはじまります。
そのルーツは米沢藩で、米沢藩は大阪の駒師から教わったという記録が。明治になり木地師と書き師に分業したことで大量生産が可能になったものの、明治末期までは東京や大阪の問屋から天童の名を隠し販売していたものが多く、天童駒はあまり知られていませんでした。
転機は、満州事変。戦争が拡大するにつれ、慰問品としての将棋駒の需要が急増。大阪が需要に応えきれず、天童に製造を依頼します。そこから、天童の名が全国に広がりました。
天童の将棋駒には、彫り駒、押し駒、書き駒、彫り埋め駒、彫り上げ駒、盛上駒といった様々な種類があり、まず木を乾かすところから将棋駒づくりをスタートします。木地師、書き師、彫り師、盛り上げ師などの匠がおり、1996年には国の伝統工芸にも認定されました。