有田町の窯元・商社×窯元の煙突
バブル崩壊後から続く、
町のムードを変える。
2016年、創業400年を華々しく迎えた有田焼。実は、料亭や高級旅館から注文が相次ぎ活気あふれたバブル期の後は、売り上げがピークの6分の1にまで落ち込み町全体が非常に閑散としていました。
そんななか、子供たちに少しでも明るい話題をという想いから、創業400年に向けていち早くアクションを起こした窯元や商社など有田町の熱い人たちをご紹介します。
アイデアのヒントは、
子供のころ言われた有田らしい逸話だった。
GWの有田陶器市は毎年九州で1,2位を争う集客があるものの、バブル崩壊後は有田焼の売上が大幅に減少したことからどこか暗い雰囲気が否めなかった有田町。窯元や商社などに勤める6人は、子供たちになにか明るいニュースを提供したいとの想いから定期的に話し合いを繰り返していました。有田町らしい企画を考えていくなかで、たどりついたのが昔親に言われていた冗談でした。「うちに来ているサンタは、窯の煙突からプレゼントば持ってこらすとよ」と。
「これを現実にしてみよう!」そんな遊び心から、実現に向けて動き出します。プロジェクトは、有田焼と同じく分業制。広報担当、サンタ担当、設置担当、事務局担当など一人ひとりが分担することで、全員の気持ちもおのずと盛り上がっていきました。
ものづくりの町らしく、
サンタの指先にまでこだわり抜く。
試しに7,000円ほどのサンタ人形を煙突に置いてみると、痩せ過ぎでだれが見てもニセモノ。そこは、ものづくりにこだわる有田人。どうやったら本物のサンタに見えるか、人形をバラバラにして試行錯誤を繰り返します。配送用の梱包材で太らせたり、2本指を5本指にしたり、靴下と靴を履かせたり…。煙突に取り付けるときは、地上からから「もう少し右」「足をもうちょっと上」など細やかに声をかけ、より人間らしいポーズにしたり…。クリスマス前に現れるあわてんぼうのサンタクロースというテーマで、チャーミングさも演出しました。あまりのリアルさに「煙突に人が登っている」という連絡を受けるほどに。設置を依頼した九電工は、タイミングよく有田町で奉仕作業を探していたときで、快く引き受けてもらっています。担当者は、有田工業高校の卒業生。町に恩返ししたいという気持ちが強く、献身的に担当してくれたといいます。
だれもが、気軽にたのしめるコンテンツ
2012年にスタートしたプロジェクトは、10軒の窯元に10体のサンタというものでした。今では参加窯が2倍以上に増え、期間も半月ほど長いものになりました。これは、有田町でイベントが少ない冬だったことや町内でもイベントが少ないエリアを狙ったことが功を奏しています。また、初回から開催しているFacebookのフォトコンテストがイベントを拡散し、今では九州北部のカメラ愛好家に広く知られるイベントに。撮影の角度がきれいに撮れるか、どのサンタがよりユニークに撮れるかなどをそれぞれが研究するなど盛り上がりをみせています。
3回目を迎えた2014年は、子供たちの夢をかなえるイベントを同時開催。「プロのケーキづくり体験をしたい」という小学生3人にパティスリー体験をしてもらったり、「本物のサンタクロースに会いたい」という小学生2人にグリーンランド国際サンタクロース協会公認サンタクロース・パラダイス山元さんに会ってもらったりと、今までで最も子供達が主役になった回になりました。
2016年は初日に、バルウォークという有田のまちをお酒とおつまみを味わいながら歩いて楽しむイベントに。これは、別のイベントでバルを開いていた人を巻き込んだものです。集客アップを目指すサンタチームと、認知度アップを目指すバルチームにとってWin-Winのものになりました。また、地元の飲食店がサンタのお好み焼きを作り、さらにイベントを盛り上げています。有田×サンタプロジェクトではみんなが得意を生かすことで、みんなで有田のイベントをもっと育てていきたいという想いから、だれでも気軽に参加できるスタイルにしています。
今では、肌寒い季節になるとサンタが煙突に現れることを心待ちにする人も。かつての大人たちの冗談を現実にした、かつての子供たち。そんな大人たちが暮らす町の子供たちは、将来どんなユニークなことをやってくれるのか、今からが楽しみになってしまいます。