ソーシャルグッドな地域資源のアイデアマガジン Local Resource News

うなぎの寝床×家に眠る伝統工芸

地域特有のタンスの肥やしを、
普段着に。

産地に暮らすことで、⽣まれたもの。

農作業着のもんぺと、伝統⼯芸品の久留⽶絣。交わることのなさそうな2つを合わせた現代⾵の商品が、幅広い年齢層から⼈気を集めています。しかも、ファストファッションが流⾏るなか、その型紙は年間2,000〜3,000部もの売り上げを誇るという。また、そのもんぺはグッドデザイン賞を受賞している。久留⽶絣の産地である福岡県⼋⼥市。そこで暮らし、⼈々の声に⽿を傾けたことから⽣まれた現代⾵のもんぺの型。誕⽣前から、多くの⼈に愛されるまでの約5年の軌跡をご紹介します。


なぜ、もんぺ?

うなぎの寝床の代表である⽩⽔さんは、佐賀県⽣まれ。⾼校まで故郷で過ごし、⼤分⼤学に進学。卒業後は福岡で働き、その後奥さんの地元である福岡県⼋⼥市で暮らし始めます。産地に住み久留⽶絣について知っていくと、古典的な柄だけでなく様々な柄があることを発⾒します。久留⽶絣は、百貨店で扱われる⾼級な呉服や婦⼈服が中⼼。そんななか、⽩⽔さんが唯⼀着⽤できそうだったのがもんぺでした。実際に履いてみると、なかなかに着⼼地がいい。この⼟地で農作業着として親しまれていたもんぺは、⽇常着としてもいけるんじゃないか。この仮説から、地域の延⻑線上にある久留⽶絣のもんぺを集めて博覧会をやってみようと考
えます。

もんぺの歴史

  • 第⼆次世界⼤戦中
    当時の厚⽣省が、婦⼈標準服の活動⾐に推奨。全国的に広まる。(例)「⽕垂るの墓」は、上下⼆部式のもんぺ。上下⼆部式と、ズボン型がある。
  • 第⼆次世界⼤戦中(布が統制される)
    新聞などで、着物を利⽤するもんぺのつくりかた(型)が発表される。
  • 第⼆次世界⼤戦後
    機能性から、農作業着として定着する。
博覧会が、リサーチの場に。

2011年5⽉、久留⽶絣の⽼舗・野村織物の展⽰をサポートするかたちで、“もんぺ博覧会”を開催します(会場:⼋⼥伝統⼯芸館)。地元にある久留⽶絣のもんぺ(既製品)を独⾃に500点ほどセレクトし、展⽰販売したところ、すでに久留⽶絣の魅⼒を知っている年配の⼈たちが多く集まります。そこで、⽩⽔さんはこんなことをよく⽿にする。「もんぺはもう持ってるけんいらんけど、型紙ばくれんね?家に久留⽶絣の反物とか着物とかたくさんあるけん、そいでもんぺばつくりたか〜。(もんぺは持ってるからいらないけど、型紙が欲しい。家に⼤量にある反物や着物とかがたくさんあるから、それでもんぺをつくりたい。)」と。そこで、改めて布の歴史を紐解き、数⼗年前は多くの⼈が当たり前のように着物を買い、それが多くの家でタンスの肥やしになっていることがわかったといいます。

第2回⽬のもんぺ博覧会の様⼦。(2012年)

着物の幅から、型を設計。

“もんぺ博覧会”で紹介したものは、お尻周りがゆったりしたものですが、今回型を起こす⽬的は、家庭に眠る絣の反物をうまく活かすこと。そのため、反物の幅(36-38cm)で⽚⾜分の型がとれるよう、⼀般的なもんぺより布を節約したスリムなものに仕上がります。実際に線を引いたのは、奥さんとそのお⺟様。服飾を専⾨的に学んだわけではなく、まるで⺟親が⼦供の服をつくるような感覚で、主観を⼤事に型を起こします。そのため、パタンナーの⽅からは「ユニークな型だね」と⾔われることも。ファッション業界らしさはなく、⼈間⼯学にも基づいていない。そして、⼀般的なもんぺとも異なる。何にも属さないもんぺの型紙は、“現代⾵もんぺ型紙”として2012年5⽉、2度⽬のもんぺ博覧会で販売をスタートさせます。

現代⾵もんぺ型紙

着物の幅を⽣かして、型紙をつくっている。

ファンは、⼿芸好きから織元まで。

2012年7⽉、⽩⽔さんはアンテナショップ“うなぎの寝床”を⽴ち上げます。それは、以前、福岡県南筑後地域の雇⽤創出のために⽴ち上げた“九州ちくご元気計画”の気⼼知れた春⼝さんとともに。⺠芸品が好きだから。⼈が集まる場所をつくりたいから。お客さんと直にふれあいたいから。お店を持つことには様々な動機があると思いますが、⽩⽔さんたちの動機は、歴史や技術・思想といった地域⽂化を紹介するために流通や⼩売が必要と感じたから。筑後地⽅の魅⼒的なものを紹介し、販売するスペースとWEBをオープンさせると、型紙は⼿芸ファンに⼝コミでどんどん広がり、⼤きな⽀持を集めます。
2013年には、本家である地元の織元に「細⾝のもんぺをつくりたい」と⾔われ、型紙を渡して内職の⽅につくってもらうことになります。

織元と内職のちがい

織元:職⼈、内職などを抱えている織物の製造元。
内職:織元から原料を受け取り、⼿仕事や縫製を個⼈で請け負う⼈。

昔ながらのもんぺと現代⾵もんぺのちがい

昔ながらの
もんぺ
現代⾵
もんぺ
フォーマット(型) お尻周りが⼤きい 細⾝
表⾯装飾 昔ながらの柄 無地
※型の場合、ここは⾃由。
使い⽅(スタイル) 農作業着 ⽇常着

九州ちくご元気計画とは?

厚⽣労働省と⺠間が協働し、福岡県南筑後地域の雇⽤創出を⽬的とするビジネス戦略システムを、4年間で模索・構築したプロジェクト。総合デザインの視点を導⼊し、グラフィックデザインやプロダクトデザイン、建築などの専⾨家が50名以上も講師として参加し、地域と商品の魅⼒を磨き上げ、広く知ってもらうことを地域の事業者とともに推進した。このプロジェクトの特徴は、商品やサービスをデザインするだけでなく、参加者にデザインマインドを伝えたこと。そうすることで、プロジェクト終了後もプロジェクト名を体現するかのように“元気で活気にあふれる筑後地域”が持続している。2011年度グッドデザイン賞受賞。

うなぎの寝床⼋⼥本店

流れで、オリジナルのもんぺを。

2015年からは⽉100本を超え、織元に「縫えない」と⾔われてしまいます。そこからうなぎの寝床で⽣地を買い、縫製所でもんぺの制作を始めます。同年、オリジナルの⽣地を開発し卸もスタート。このときに、無地の久留⽶絣もつくり始めます。それは、⽩⽔さん⾃⾝が柄物に抵抗があったからや、どちらも機能が変わらないから。そして、⽣産効率が上がるという⼤きなメリットから。結果、無地はコンスタントに売れており、無地を⼊り⼝に本来の久留⽶絣の柄や着⼼地など、奥⾏きを楽しんでもらいたいと考えている。ここまで読むと、もんぺと型紙の両⽅を売って⼤丈夫なの?と疑問に思う⼈もいるかもしれませんが、意外なことに相乗効果を⽣んでいる。実際、型紙は年間で2,000〜3,000部、もんぺは12,000本と、どちらも売り上げの⼤きな柱になっている。もんぺ博覧会は回を重ねるごとに年齢層は広がり、履き⼼地の良さからリピーターになる⼈も多いという。なかには、毎⽇着ているほどのもんぺフリークも。⻑く愛⽤できる商品であるのに、毎年販売数も増え、イベントも増えてきているという。意外にも、もんぺ購⼊後に型を買う⼈も多いという。それは、もんぺを着て、好きな型だとわかると、好きな柄でもつくりたくなるからだそう。まるで、もんぺそのものが、型紙のサンプルのような存在になっている。なかには、マリメッコなど⼈気ブランドの布でつくる⼈も。両⽅履くことで布が⽐較されるため、久留⽶絣以外でつくってもらってもいいと考えているそう。型は、原⼨でSML(スリム、ノーマル、ワイド)が⼊っており、男⼥兼⽤のため1つ買うと家族みんなで使える。1枚に3つのサイズがあるので、それぞれに丈を調整して、⾃分らしい型をつくっていく楽しさもある。予想以上に多くの⼈に知ってもらったり、つくってもらったり、着てもらったりする喜びの反⾯、著作権についてのルールを整備していなかったので、少し迷うこともあったという。

現代⾵もんぺの愛⽤者。福岡県⼋⼥市在住の美術家⽜島智⼦さん。

現代⾵もんぺの愛⽤者。福岡県⼤⽊町でニコパン(パン屋)を営むおふたり。

産地に広がるもんぺの型

型があることで、ロングライフデザインをコンセプトに47都道府県のその土地らしさを紹介し続けるD&DEPARTMENTからも声がかかります。それは、⽇本各地の⽣地⾒本を再利⽤し、産地の魅⼒を伝えるプロジェクト“FROM LIFESTOCK”での展開を考えてのことでした。現在“MONPE FROM LIFESTOCK”は、国内品の95%を誇るコーデュロイとベッチンの産地・天⿓社(静岡県)、富⼠⼭の豊かな湧⽔などを利⽤し、⽷から染める先染めの絹織物を得意とする郡内(⼭梨県)、先染め織物の国内70%以上のシェアを占め、チェックや縞を特徴とする播州(兵庫県)を始め、ウール織物の日本最大産地の尾州(愛知県、岐阜県)や福井県や岡山県の生地とも協働しています。今後も様々な産地と展開していくシリーズです。

久留⽶絣について

福岡県南部の筑後地⽅で製造されている絣。先に染めた⽷を織り、⽂様をつくります。伊予絣、備後絣とともに⽇本三⼤絣のひとつで、伝統⼯芸品にも指定されています。特徴は、⼩幅のシャトル織機でゆっくり織ることで⽣まれる柔らかさ。⼀般的に使われることが多いレピア織機は、広幅の⽣地を引っ張りながら硬く織り、硬くなったものを最後に柔らかくしています。⼀⽅、⼩幅のシャトル織機はテンションがかからないため、少し逃げがあり柔らかな⽣地に仕上がります。

発想の原点は、都市計画。

⼋⼥から全国に広がり続ける、現代⾵もんぺ。⽩⽔さんは、もともと、⼤学で建築を専攻し、卒業してすぐ独⽴。“九州ちくご元気計画”を⽴ち上げ、雇⽤は産業や街が活性化しなければ⽣まれないという考えのもとプロジェクトを3年弱担当し、2012年にお店を始めている。商社として経済の⼒をつかいながら、地域⽂化を継続するためのフォーマットを、産地に暮らすことを⼤切にながら構築している。それは、アンケート調査では決して拾い上げることのできない地域住⺠の⼩さな声にも⽿を傾けながら。地域の⼈々とコミュニケーションをとるうちに、ここが⾜りていないから、私たちがやっていこうという⾵に。ちなみに、うなぎの寝床という社名は、この⼟地に多い、間⼝が広くて奥が⻑い建物からきているそう。

うなぎの寝床のように、奥が⻑い⼋⼥本店。

⾛りながら、ゆるやかに。

「型紙、もんぺ、久留⽶絣はこのまま安定的にちょっとずつ量を増やしていきたい」と、⽩⽔さんは話す。その理由は、急激に増やすと織元にも歪が出るし、仮にうなぎの寝床が潰れたら地域の⼈に被害を与えるから。織元の占有率は50%超えないようにと、踏み込んではいけない領域を頑なに守っている。また、他の産地との協働もスタートしている。たとえば、沖縄の織物のブランディング。すべて⼿織りで⽣産に苦労している織物を、久留⽶の現代織機でつくり、ロイヤリティを沖縄の⼈にバックしている。これは、福井の合繊繊維や浜松の播州などでも展開を考えている。⽩⽔さんが重要視している“地域⽂化の継承を助けるシステム”を着々と構築している。

地域の⼈に⽿を傾け、できないところを補填するという⽇本の昔の⼈たちが⼤切にしていた地域の⼈と⼈とのつながりのようなものが、今、経済を⼤きく動かしているような気がしてならない。

2017年12⽉にオープンしたうなぎの寝床東京新川分室の⼊⼝(1階)。

うなぎの寝床の理念と、東京新川分室で取り扱う商品⼀覧。

柄、無地などバライティー豊かなもんぺ。

筑後地⽅を中⼼とした近隣の魅⼒を発信している。

試着室も、久留⽶絣でつくられている。

地域の魅⼒を具象化した⼈形も。

コラム:必要なら、映像や書籍制作も。

実は、うなぎの寝床の売上には、デザイン、WEB・動画制作、編集、リサーチ、ブランディング、書籍制作なども含まれている。リサーチは、九州の資源を⾒つけること。それだけでは意味ないので、アンテナショップをつくった。織元がメーカーまでやれなかったので、メーカーを担い、オリジナルの商品をつくり上げた。映像制作は、オランダのアーティストとのコラボの話があり、メールだけでは久留⽶絣の製造⼯程がうまく伝わらずどうすればいいかをフラットに考えた結果⽣まれたもの。これは実際、オランダの⽅との濃密な話し合いにつながったという。その後、この動画を⾒た沖縄の⽅から動画制作の依頼やブランディングやリサーチの依頼を受けている。⼩売の他に、調査して、流通して、検証することを繰り返しやっているという。

2017年12⽉にオープンしたうなぎの寝床東京新川分室。動画は、うなぎの寝床で製作したもの。

⽩⽔さんが、プロデュース・編集・ライティングを担当した”地域資源発掘シリーズ佐賀柳町”。

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