SyuRo × 町工場の職人技
町工場のイメージもデザインし
職人技をつなぐ。
優れたデザインで、職人の魅力を発信する。
各地で問題となっている後継者不足。国内外で愛される商品をつくる職人もその例外ではありませんでした。一度は廃れてしまった町工場の技術を復活させた下町にある生活デザイン雑貨店・SyuRo。その奇跡ともいえる取り組みをご紹介します。
オリジナルの角缶が、誕生するまで。
子供の頃から、お茶やお菓子の缶に惹かれ、いつかインテリア用の缶を作りたいと考えていたSyuRo代表の宇南山さん。缶問屋の方が、たまたま店舗に足を運んだ際に、昔からもつ缶への想いを伝え、工場を見学させてもらえることに。そこで宇南山さんは和紙を巻かない缶そのものの美しさに心を奪われます。「素地の缶を作りたい」。そう相談すると、塗装が前提なので錆びる可能性があること、塗装がないと職人がとても神経を使うことから、一度は断られてしまいました。話し合いを重ねSyuRoで磨き上げること、錆びにくい素材にすることを条件に、商品化へ挑戦。完成品を展示会でお披露目するとその反響は大きく、小ロットで進めていくはずが定番となり、海外でも高い人気を誇る商品へと成長します。
なぜ、人気なのか?
なぜ角缶に惹かれるのか。どうして多くの人が、魅了されてしまうのか。職人である中村さんに話を聞いていると、溶接に頼らず金属を折り込んで作ることが美しさの大きなポイントになっていることがわかります。それは見た目だけでなく、錆びにくさにも貢献。さらに、仕上げに角を叩いて丸みを出すことで使う人が怪我をしないよう配慮されていました。誰にも気づかれないような些細なこだわりを持ち、手間暇を惜しまない。中村さんの人柄の良さがモノに現れていることに気づいたといいます。
この角缶を作るためには道具や機械は使うものの、電動ではなくすべて手作業。機械化できない職人の技術を残すべきだと、宇南山さんはずっと考えていました。
きっかけは、昔書いた手紙だった。
そんなある日、中村さんが倒れてしまいます。「なんでこんなに売れるかわからないよ」と言い、後継者を取らなかったため生産はストップ。SyuRoの主力商品であり、宇南山さん自身大好きだった商品が作れなくなったことに、頭を抱えてしまいます。どうやれば、この逆境を乗り越えられるのだろうか。スタッフと共に解決策を模索するなか、中村さんの息子さんから連絡が入ります。内容は、「ぜひ継いで欲しい」ということ。それは、宇南山さんがかつて中村さんに送っていた手紙を偶然見つけられてからのものでした。話し合いを重ね、求人サイト“日本仕事百貨”で工場長を募集。15人の応募のなかから、時計の修理工として金属に携わっていた35歳、2児の父(当時)石川さんを採用します。
実は、宇南山さんのお父様はジュエリー職人。いつか継げたらと考えつつも、デザインの道に進み、お父様の技術を継げなかったことがずっと胸に引っかかっていました。そのため、オリジナルブランドSyuRoを立ち上げ、希少となっている職人技を生かした商品を開発。日本のモノ作りの魅力を国内外に発信していました。そんな宇南山さんが中村さんの技をつないでいきたいという想いを込めた手紙は、職人ではなく教師を選んだ息子さんの心を大きく動かしたといいます。
継承されなかった技術の復活。
製造を再開したのは、2017年7月。だれも技術を教えてもらっていなかったため、中村さんが作ったモノや使っていた機械や道具、SyuRoスタッフの記憶を頼りに中村さんの技術を探っていく、地道な作業がスタートします。
また、この動きを知る人からグッドデザイン賞の応募をすすめられ、デザイナー欄に職人である中村さんと宇南山さんの名前を記し提出します。日本らしいデザインとともに、技術継承の過程が高く評価され見事受賞。息子さんも、とても喜んでくれたといいます。
中村さんの親戚の方にグッドデザイン賞の受賞や技術継承について伝えると、その時初めて中村さんの活動を知る人がほとんどで、驚きとともに誇りに感じてくれたといいます。SyuRoスタッフは、今までお断りしていた人気商品が軌道にのれたことにホッとしつつ、何よりいつも優しかった中村さんの商品が復活できたことにすごく喜びを感じている。
高いデザイン性をもつ商品を開発から販売まで一気通貫することで、購入者に作り手の想いや実情を伝え、下町に寄り添い職人に興味がある人にもデザインに興味がある人にも親しみやすい存在であり続けているSyuRo。そのスタイルは、後継者問題を解決する大きな糸口になることを強く確信している。